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〜イギリスピアノ音楽シリーズT〜
レノックス・バークリー
ピルキントンのTOYE (1926)
 

この作品を作曲した1926年はバークリーがラヴェルの推薦でパリへ旅立った年でもありました。1920年代後半はパリにおいてのジャズの影響が花開いた時期でもあり、ガーシュインの"ラプソディ・イン・ブルー"(1924)に代表される交響的ジャズは当時ファッショナブルとされていました。ラヴェルは"ヴァイオリンとピアノの為のソナタ"(1927)を作曲し、彼独自の書法で抑制の効いた"ブルース"の反映を"ボレロ"(1928)で、また"左手の為のピアノ協奏曲"(1931)などを書き上げました。バークリーのジャズへの意識もラヴェルとの出会いによって触発されることになったと思われます。ジャズの影響を少なからず受けた英国の作曲家にはコンスタント・ランバートやアーサー・ブリスなどがおりランバートの作品には"The Rio Grande"(1927)、"Elegiac Blues"(1927),ブリスの作品には"The Rout Trot"などがあります。ジャズの影響がほのかに窺えるバークリーの作品には"無題のバレエの為のアンダンテ"(1932)、失われてしまった無伴奏の"ヴァイオリンの為のソナチナ"のタンゴ(1927)、そしてフルート、ヴァイオリン、ヴィオラとピアノのために書かれた序奏、間奏曲、フィナーレ(1927)にはブルースを取り入れています。

"ピルキントンのTOYE"はバークリーのオックスフォード時代、1926年に書かれました。またオックスフォード大学内で当時古楽が再評価され盛んに演奏されていた時代でもありました。"ピルキントンのTOYE"、英タイトル"Mr Pilkington's Toye"はエリザベス朝のタイトルで"Toye"とは16,7世紀にヴァージナル音楽に使われた音楽用語、<遊び><気晴らし>などの軽い曲という意味を持ちます。この小品はスカルラッティの楽曲スタイルを想起させ、音楽が有機的な繋がりをもつ、非常に精巧に作られた純度の高い作品に仕上がっています。この曲はバークリーがやはりピルキントンへ捧げた短い一ページの作品"ヴィエのために"(1927)と同じく、ピアノかハープシコードの為に書かれました。1920年代は、"ジャン・コクトーの詩による五つの歌曲"(1925)、"オーデンの二つの歌曲"(1926)などバークリー初期の多くの歌曲を生み出した時期でもありました。

1928年と1931年にはラヴェルの演奏旅行、英国滞在にバークリーは彼の従兄弟、クロード・バークリーと共に二度ほど付き添っています。1928年の訪問はラヴェルがオックスフォード大学から名誉博士号を贈られるためのものでした。彼の音楽会のリハーサル、会合や食事など通訳を兼ねて滞在を心地よいものにする為に二人の友人であるゴードン・ブライアンとピーター・ブッラによって計画された旅でもありました。ピーター・ブッラは1937年にアマチュアのパイロットの友人と飛行中に事故で亡くなりました。バークリーとブリテンとの共同制作"モン・ジュイ"(1939)はこのブッラに献呈されています。

 

ヴィヴァーチェ  6/8拍子 ハ長調

三度が軽快な効果を生み出すダンス、スカルラッティを意識したネオ・クラシカルな薫り漂う愛らしい作品です。曲はレジェーロ、ハ長調ではじまり、ト長調-ニ長調−ハ短調-変ホ長調、そして基調へと転調を重ね繊細なニュアンスとタッチの繊細さが求められる小品です。シンプリシティーとイノセンスが絶妙なバランスで融合されており、バークリーのデリケートな側面が顕著な楽曲といえるでしょう。


試聴用データ→ピルキントンのTOYE


井田久美子     2006年 7月

 

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